林家彦六の憂いと矜持 ― 1977年の落語界
林家彦六(八代目正蔵)の言葉には、当時の落語界の厳しい現実と、芸人としての矜持が色濃く表れている。彼が何より問題視したのは寄席の減少であった。「寄席が無いのは落語界にとって致命傷だ」と断言し、定席が少なくなれば若手は腕を磨く場を失い、芸が痩せ細ると危機感を露わにしている。
一方で、当時台頭していたテレビ文化への冷ややかな視線も特徴的である。テレビでは素人が人気を集め、即席的な笑いが注目されていた。彦六は「タレント志望で両天秤をかけるのは論外だ」と若手を一刀両断し、噺家は「雲水のように貧乏を耐え、芸に没頭すべきだ」と説いた。この言葉には、高度経済成長期に芸能界へ流れ込んだ"タレント化"の風潮への警鐘が込められている。芸よりも人気取りを優先する姿勢が、古典芸能としての落語を空洞化させかねないという強い不安が背景にあった。
しかし彼は単なる保守主義者ではなく、素人落語会「天狗連」の存在には肯定的であった。「天狗連はなくちゃいけない」と断言し、素人の中で揉まれることでプロも成長できると語っている。これは、寄席文化が衰退しつつあった時代に、落語が広がり続けるためには裾野の存在が不可欠だという現実的な視点でもあった。
当時は、国立劇場の設立など文化行政が「伝統芸能の保存」に力を入れ始めた時期でもあったが、彦六は「殿堂に頼っても修業にはならない」と切り捨てている。舞台の実践こそが芸を磨く唯一の道だと信じていたのである。
つまり、彦六の発言には寄席文化の衰退への焦燥感、テレビ主導の大衆文化への警戒、そして落語の未来を支える素人や若手への複雑な期待が絡み合っている。昭和50年代の日本社会における大衆芸能と古典芸能のせめぎ合いが、そのまま言葉ににじみ出ているのだ。
No comments:
Post a Comment