Sunday, September 21, 2025

ラブ・カナル事件とスーパーファンド法―米国の環境政策転換(1978年以降)

ラブ・カナル事件とスーパーファンド法―米国の環境政策転換(1978年以降)

1970年代の米国は、急速な工業化の陰で有害廃棄物問題が深刻化していた。高度経済成長期に化学産業が排出した廃棄物は不適切に処理され、都市近郊や住宅地の地下に埋め立てられることも多かった。1978年、ニューヨーク州ナイアガラフォールズ近郊の住宅地「ラブ・カナル」で、かつて化学工場が廃棄物を埋め立てた土地の上に学校や住宅が建設されたことが発覚する。地下から有害化学物質が浸出し、住民の間に流産、奇形、癌といった深刻な健康被害が相次いだ。この事件は全米の大きな社会問題となり、住民は大統領への直訴や抗議行動を展開した。

事態を受けてカーター政権は非常事態を宣言し、住民を集団移転させる措置を取った。これを契機に1980年に制定されたのが「包括的環境対応補償責任法(CERCLA)」、通称スーパーファンド法である。この法律は「汚染者負担の原則」に基づき、過去に有害廃棄物を排出した企業に浄化や補償の費用を負担させる仕組みを導入した。特に、責任の所在が不明確でも複数の関係者に「連帯責任」を課す点が特徴で、環境政策の大転換と評価された。

日本では当時、産業廃棄物の不法投棄や土壌汚染が社会問題化しつつあったが、米国のような包括的制度は存在せず、個別法規による対応にとどまっていた。日本で土壌汚染対策法が成立するのは2002年であり、ラブ・カナル事件から四半世紀を経てのことだった。この比較は、米国が被害の顕在化を契機に迅速かつ強力な法整備を進めたのに対し、日本は徐々に規制を強化するという漸進的なアプローチを取ったことを示している。

ラブ・カナル事件は、環境汚染が単なる地域問題ではなく国家的危機であることを突き付け、スーパーファンド法の制定によって世界的な「汚染者負担原則」の普及を後押しした。今日の国際的な環境規制の多くは、この事件の教訓を背景に形成されたといえる。

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