Sunday, September 21, 2025

地下水の影―所沢防災井戸汚染事件と1990年代の環境不安(1998年6月)

地下水の影―所沢防災井戸汚染事件と1990年代の環境不安(1998年6月)

1990年代後半、日本社会はバブル崩壊後の停滞期にあり、環境と健康の不安が市民生活を覆っていた。特に化学物質によるリスクは注目を集め、環境ホルモンやダイオキシンと並び、地下水や飲料水の安全性が大きな関心事となった。埼玉県所沢市の防災井戸から発がん性物質クロロエチレンが検出された事例は、住民に強い衝撃を与え、災害時の命綱であるべき水源が逆に不安の象徴となる矛盾を浮き彫りにした。

この問題をめぐっては、当時進展していた環境技術とともに法規制の整備が密接に関わっていた。地下水浄化では、活性炭吸着法やエアスパージング、土壌洗浄、さらには微生物を活用したバイオレメディエーションといった技術が注目され、汚染の除去と再発防止が模索されていた。一方で、関連法規の整備が課題とされていた。

まず、水質汚濁防止法(1970年制定、1990年代に改正強化)が基盤となり、地下水や公共用水域の汚染防止が規制の柱とされた。さらに、廃棄物処理法(廃棄物の処理及び清掃に関する法律)は、不法投棄や産業廃棄物の管理不全が地下水汚染の原因となることから強化が進められた。また1997年には環境影響評価法(環境アセスメント法)が制定され、大規模開発における地下水や生態系への影響調査が制度化されるなど、法的枠組みの整備が加速していた。

加えて、環境庁(現・環境省)はPRTR制度(有害化学物質排出・移動登録制度)の導入を推進し、事業者に化学物質の排出・移動を報告させることで、従来不透明だった物質の流れを把握しようとした。これはOECDの勧告を受けて国際的に広がりつつあった制度であり、所沢の事例は国内導入の必要性を社会に強く印象づけた。

この事件は、技術と法規制、さらに市民運動の三者が交錯する形で環境問題を具体化させた。地下水という日常に密接な資源が汚染された現実は、生態系破壊が人間生活に直結することを示し、環境行政の強化と技術開発の促進を後押しする契機となったのである。

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