Thursday, September 11, 2025

豊島区の清掃工場建設 ― 1990年代の都市ごみ政策と関連技術の実像

豊島区の清掃工場建設 ― 1990年代の都市ごみ政策と関連技術の実像

1990年代の東京は、最終処分場の逼迫とダイオキシン不安の高まりの中で、焼却施設の高性能化と分散配置が急務でした。東京都は1991年に「自区内処理の原則」を掲げ、各区で安定的に燃やし、搬送距離を縮める方針を明確化。墨田区・港区の新設に加え、世田谷区駒沢公園内、千代田区丸の内三丁目、荒川区南千住三丁目、新宿区市ヶ谷本村町などが候補地として俎上に載り、同じ流れの中で上池袋(かつてのマンモスプール跡)にも新工場計画が進みました。計画は1日400トン、1999年6月竣工予定。排熱は館内の空調・給湯に回す設計で、都市部施設を「エネルギー拠点」としても機能させる狙いでした。

上池袋の特徴は、都市中心部に立つことを前提に、装置・運用の両面で当時の最先端対策を詰め込んだ点です。まず燃焼部は流動床焼却炉(2基)を採用。細粒化したごみを高温の砂層で流動状態に保ちながら均一燃焼させるため、低発熱ごみや含水ごみにも安定し、COや未燃分が出にくいのが利点です。石灰の同時投入で酸性ガスの一部を炉内で中和でき、燃焼温度の微調整もしやすいなど、都市ごみに向いた制御性がありました。

排ガス処理は「急冷(クエンチ)→乾式または半乾式反応塔(消石灰噴霧)→活性炭噴霧→バグフィルター」という当時の標準的な高性能フローが中核です。急冷は200〜400℃で再合成されやすいダイオキシン帯を素早く通過させる目的で、バグフィルターは微粒子を高効率で捕集。活性炭はダイオキシンや水銀等の微量有害物の吸着に有効でした。窒素酸化物は、焼却炉出口での尿素・アンモニア水噴霧によるSNCR(選択的無触媒還元)を基本とし、立地・規模や求められる排出基準によってはSCR(触媒還元)を後段に置く設計も検討されました。これらの組合せで、当時強化が進んだ国内基準やEU水準(0.1 ng-TEQ/Nm³)を見据えた運転が可能になります。

立地が密集市街地であるため、ピット(ごみ貯留槽)や投入ヤードは負圧管理とし、吸い込んだ空気を燃焼用に利用して臭気拡散を抑制。必要に応じて活性炭脱臭装置を併設し、騒音は送風機・誘引ファンの消音、外壁の遮音で対応しました。安全・信頼性面ではCEMS(連続排出監視)で主要汚染物質を常時計測し、炉の自動制御と連動させる運転哲学が普及。住民説明会では、この連続監視データの公開が合意形成の核になりました。

資源循環では、前処理の段階で磁選・渦電流分離により鉄・非鉄を回収。ボトムアッシュは金属回収後に造粒・選別して路盤材化、飛灰はキレート剤添加やセメント固化で重金属溶出を抑制。当時は灰溶融(プラズマ・コークス方式)でスラグ化する動きも広がり始め、最終埋立量と有害性を同時に下げる試みが展開されました。

排熱は蒸気で吸収式冷凍機を駆動し、館内空調・給湯、温水プール等に供給。敷地条件により小規模タービン発電や周辺施設への熱供給(地域冷暖房)を組み合わせ、エネルギー起点としての価値も追求しました。

こうした技術群は、単に「燃やす」から「安全に、資源・熱を最大限に回収し、都市と共生する」へと清掃工場の役割を変えたものです。上池袋の計画は、厳しい環境要件・都市立地・社会的合意の三条件を満たすための総合解として、1990年代の東京が辿った技術的到達点を体現していました。

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