ドングリの会の活動 ― 1995年7月の時代背景とともに
1990年代半ばの日本では、都市化の拡大や林業の衰退によって二次林や人工林の管理が放置され、森林生態系の荒廃が進むことが社会問題となっていました。戦後の拡大造林で生まれたスギ・ヒノキの人工林は本来なら間伐や下草刈りなど人の手が不可欠でしたが、木材価格の低迷と農山村人口の減少により維持管理が難しくなり、多くが荒れ果てていました。さらに1992年リオ地球サミットを契機に、生物多様性や持続可能な開発の重要性が国際的に共有され、日本国内でも市民レベルで自然保護への関心が高まっていた時期でした。
こうした背景の中で誕生した市民団体「ドングリの会」は、地域の森を守るために具体的な行動を起こしました。事務局長の福井晶子氏は「一度手を入れられた二次林や人工林は放置すれば生態系が滅びる」と語り、持続的な人間の関与の必要性を訴えています。その活動の象徴が「こども一人ドングリ一粒」という合言葉で、未来を担う子どもたちと一緒にドングリを拾い、苗木を育て、植樹する取り組みを広げました。
記事には、会員たちが「自分が植えた苗が育っていくのを見るのが楽しみだ」と語る場面も紹介され、環境保護を専門家だけでなく市民が主体的に担う姿が伝えられています。こうした活動は単なる植樹運動にとどまらず、環境教育や地域コミュニティの再生の側面も持ち合わせていました。
ドングリの会の試みは、放置林問題への現実的な解決策を提示すると同時に、市民が自然保護に参加する文化を育む先駆的事例でした。1995年という時代において、こうした草の根の活動は循環型社会の形成やNPO活動の広がりにつながり、日本の環境運動史の重要な一章を刻んだといえます。
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