環境思想の根に芽吹くもの ― 環境ビジネスと人間の価値観・1995年7月
1990年代半ばの日本は、バブル経済崩壊後の不況に直面し、大量生産と大量消費を前提とした社会モデルが限界を迎えていた。一方でリオ地球サミットを契機に「持続可能な開発」が国際社会で合意され、環境保全を経済と並ぶ柱とする思想が浸透し始めていた。この背景の中で「環境ビジネス」という言葉が広がったが、その本質は単なる産業分野ではなく人間社会の価値観を問う営みであると論じられていた。
記事では「環境ビジネスは技術だけでは成立しない」と強調されている。当時の代表的な関連技術には、ごみ焼却の高効率化を図る流動床炉、省エネを推進するインバータ機器や高効率照明、さらに実証段階にあった太陽光発電や風力発電、RDFによる燃料化技術などがある。下水処理では高度処理や汚泥資源化が進められていた。こうした技術的革新は重要であったが、「人間の根源にエコロジー的発想がなければ持続性はない」との警鐘が鳴らされた。
環境を市場としてのみ扱えば再び利益追求に偏り、持続可能性は失われる。むしろ人と自然の関係をいかに捉え直すかという哲学的問いが不可欠であり、この考えは当時広まったディープエコロジーの思想とも響き合っていた。環境対策がコストとみなされ企業参入が進みにくい状況下で、思想的基盤を示すことは大きな意義を持った。
ここで引用されるミヒャエル・エンデの言葉「時間をお金のように計る世界は、いつか人間の心を失わせる」は、環境をコストの尺度で測ることの危うさを示唆している。環境ビジネスは利益のための手段ではなく、人間社会の在り方を見直す哲学的営みであるという視点は、その後のCSRやサステナビリティ経営の基盤となった。
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