Saturday, September 6, 2025

環境思想の根に芽吹くもの ― 環境ビジネスと人間の価値観・1995年7月

環境思想の根に芽吹くもの ― 環境ビジネスと人間の価値観・1995年7月

1990年代半ばの日本は、バブル経済の崩壊後に社会と経済の停滞が広がり、従来の大量生産と大量消費の仕組みが限界を迎えていました。他方で一九九二年のリオ地球サミット以降、「持続可能な開発」という国際的合意が浸透し、日本でも環境保全を経済と並ぶ社会課題として扱う意識が芽生えました。この背景のもと「環境ビジネス」という言葉が注目されましたが、それは単なる新産業ではなく、人間の価値観や思想を問い直す営みでもあると論じられていました。

記事の核心は「環境ビジネスは技術の導入だけでは成立しない」という視点です。当時の技術的潮流には、廃棄物を燃料化するRDF(Refuse Derived Fuel)、ごみ焼却の高効率化を図るストーカ炉や流動床炉、省エネ機器としての高効率蛍光灯やインバータ制御機器、再生可能エネルギーの黎明期を象徴する太陽光発電や風力発電の実証実験などがありました。さらに水処理技術では高度処理施設が都市部で導入され、廃水の再利用や汚泥資源化も模索されていました。こうした技術は確かに環境ビジネスの核を成していましたが、記事はそれを越えて「人間の根源にエコロジー的発想が根付かなければ本質的な持続性は得られない」と指摘しています。

つまり環境を利益追求の市場としてのみ捉えるのではなく、人と自然の関係をどう再構築するかという哲学的・倫理的問いが不可欠だというのです。この考え方は、世界で広がっていたエコロジー思想やディープエコロジーと共鳴し、人間中心主義から自然との共生へと価値観を転換する契機となりました。

当時の日本企業にとって環境対策はコスト増と見なされがちで、積極的な投資は躊躇されました。しかしこの思想的基盤を提示することにより、環境ビジネスは単なる経済戦略ではなく、人間社会そのものの価値観を問い直す活動であると位置づけられました。そしてこの流れは、やがてCSR(企業の社会的責任)や環境ISO、さらにサステナビリティ経営へと発展し、技術と思想が結びつく基盤を形作ったのです。

ここで想起されるのが、ミヒャエル・エンデの言葉です。彼は『モモ』や講演の中で「時間をお金のように計る世界は、いつか人間の心を失わせる」と語り、人間の根源的な価値観の問い直しを促しました。これは「環境をコストや利益の尺度だけで捉えてはならない」という当時の議論と響き合い、環境ビジネスを思想的営みとして捉える意義をさらに深めています。

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