酸性雨と森林破壊 ― 日中環境協力の焦点・1995年7月
1990年代の東アジアでは、急速な経済成長と都市化の進展が大気汚染を深刻化させ、中国では石炭依存型エネルギー構造に起因する硫黄酸化物(SOx)の排出が急増していました。その結果、酸性雨が広範囲に降下し、森林衰退や湖沼の酸性化が顕著になり、農作物や建造物にも被害が及んでいました。酸性雨は国境を越えて広がるため、日本にとっても他人事ではなく、同時期に国内でも長野県志賀高原などで森林衰退が報告され、危機感が高まっていました。
こうした背景の下で開かれた日中環境協力の会見では、大気汚染と酸性雨対策が中心議題となりました。中国側は被害の実態調査や技術協力を要請し、日本政府は第4次円借款において環境案件を重点分野と位置づけ、調査団を派遣する方針を打ち出しました。これは従来インフラ整備に偏っていたODA(政府開発援助)の中で、環境が初めて大きな位置を占める転換点となりました。
当時の日本国内でも、公害防止の経験を生かした技術輸出や国際協力が「環境立国」を掲げる政策と結びつきつつありました。特に排煙脱硫装置や高効率ボイラー、再生可能エネルギー技術は、中国のエネルギー利用改善に直結するものと期待されました。
この協力は単なる外交の一環ではなく、酸性雨という国境を越える環境破壊への実践的対応であり、持続可能な発展を模索する東アジア全体にとっての試金石となりました。1995年の合意は、その後の日中共同研究や国際的な環境ガバナンスの基盤を築いた重要な出来事だったといえます。
No comments:
Post a Comment