環境思想の黎明 ― 1997年日本における人材育成と社会変革の序章
1990年代の日本では、環境問題は技術の課題を超えて社会の価値観そのものを問う主題へと育っていった。リオの地球サミットと生物多様性条約、環境基本法の整備、そして環境マネジメントの国際規格が普及し、企業も大学も環境を経営と教育の中核に据えるべきだという空気が広がった。だが実際には、大学の人文系に環境人材を系統的に育てる仕組みが乏しく、自然や文化や生活の側面から環境を読み解ける人の不足が目立っていた。そこで求められたのは、企業と大学が結び合い、現場研修や共同講座を通じて、技術の言葉だけでなく生態系や地域文化の言葉で語れる若者を育てることだった。環境は法令順守の段取りではなく、生活や働き方を織り替える思想であるという認識が、ゆっくりと根を下ろし始めていた。
この動きは経済にも波紋を広げた。環境ビジネスを装置や処理技術に限らず、教育や出版、情報の整理や人材の育成といった領域へ押し広げる発想が生まれた。学校で学んだ理念を、企業の研修や地域の学びへとつなげ、暮らしの細部にまで環境の視点を行き渡らせる。そうした営みが市場を形づくり、人の流れや資金の流れを変えていくという見取り図である。技術の改良にとどまらず、価値の転換を伴う長い仕事として環境をとらえるなら、人文と社会の知を統べた人材は、企業文化を変え、都市や地域の設計図を描き直す要となる。景気の陰りの中でなお、人の学びを起点に未来を編むという静かな確信が、1990年代の日本に息づいていた。
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