増田寛也(岩手県知事) ― 2000年11月
2000年前後の日本は「環境法制の転換期」と呼べる時代でした。まず1990年代後半、産業廃棄物の不法投棄やダイオキシン汚染が全国的に問題化し、地方自治体には適正処理や監視体制の強化が強く求められていました。これを背景に、国は一連の関連法規を整備します。1997年の「地球温暖化対策推進大綱」1999年の「ダイオキシン類対策特別措置法」そして2000年5月に施行された「循環型社会形成推進基本法」は、その象徴的な存在でした。さらに、家電リサイクル法(2001年施行予定)食品リサイクル法(2001年施行予定)など、廃棄物削減や資源循環を重視する制度改革が相次いで準備されていました。
しかし、こうした国の法制度だけでは実際の現場負担を補えず、とりわけ最終処分場不足や不法投棄の集中に苦しむ地方は独自の対応を迫られました。岩手県知事の増田寛也は、青森・秋田とともに産業廃棄物処理業者への「広域環境税」導入を打ち出します。これは業者に課税し、その収入を不法投棄防止や処理施設整備に充てる仕組みで、循環型社会推進の国策を地域レベルで支える方策と位置づけられました。2000年11月の「北東北環境フォーラム」での議論は、国のトップダウン施策を補完し、地域発の制度設計を模索する実験的試みでもありました。
結果としてこの提案は、地方自治体が国に依存せず自ら課税権を活用し、環境政策を推進し得る可能性を示しました。国の関連法規による大枠と、増田らによる地方独自の政策が交錯したこの局面は、日本の環境政策史において「国と地方の役割分担」が本格的に問われ始めた重要な転換点だったといえます。
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