環境と不法のはざまで 廃プラスチック越境譚 2001年3月
2001年の日本は循環型社会を掲げ、資源循環の旗が街頭にひるがえっていた。容器包装リサイクル制度の拡充、家電リサイクル制度の本格施行、そして循環型社会形成推進基本法の始動。理念は整い、分別の色は増え、人々は未来を少しだけ信じた。だが、その裏面で廃プラスチックの束は港へ運ばれ、資源の名をまとって海を渡った。輸出先でほどけた束は異物混入が多く、選別に手間がかかる。燃える。煙る。河畔に積まれ、雨に溶け、川を下り、海へ砕ける。見えないところへ押しやれば、消えるわけではない。
背景には長い90年代の影がある。バブル崩壊後の停滞、コスト低減の圧力、最終処分場の逼迫と処理単価の上昇。国内の処理能力は数量と質の両面で追いつかず、混合状態のままのミックスプラは扱いづらい荷となった。そこへアジア通商の拡大とコンテナ物流の低廉化が重なり、名目はリサイクルとしながら実態は処理外部化という回路が開く。富の集中と規制の隙間がつくる力学は、負担を目に届きにくい場所へ送り出す誘因となった。
港から南へ運ばれた荷は、現地で人の手に渡る。素手の選別、路地の焼却、黒い煙、灰の降下。塩素系添加剤を含む樹脂は低温焼却で有害物質を放ち、微細な破片は排水とともに流れる。健康被害の不安は日常の労働に張り付いた。条約の精神はここで問われる。越境移動を抑制し環境上適正な管理を求める国際枠組みに照らせば、名目と実態の乖離は看過できない。環境という公共財に、不法という私的利得が食い込み、負債は国境を越えて積み上がる。
日本国内でも矛盾はきしみ音を立てた。分別の努力が輸出という出口で空洞化するのではないかという疑念、制度の網目をくぐる事業者への怒り、そして自治体現場の疲弊。報道と市民団体の追跡は、資源循環の語りの背後に沈む暗渠を照らし出した。政府は監視と手続の厳格化に動き、輸出審査の実態確認や通知制度の強化を進める。国内では選別精度の高い中間処理と熱回収設備の整備が議論され、排出抑制と設計段階での樹脂単純化も課題として浮上した。
2001年3月は、理念の言葉と現実の荷がぶつかった季節として記憶される。資源循環は目的であり、同時に手段でもある。その両義性を直視し、越境の暗渠を埋め戻す努力が、その後の規制強化と国内処理能力の底上げへとつながっていく。環境の名で語られた物語に、不法の影が落ちたとき、私たちは初めて循環の輪の継ぎ目を見たのだ。
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