Thursday, September 25, 2025

潮騒の約束―三番瀬埋立撤回と干潟再生への道 2001年

潮騒の約束―三番瀬埋立撤回と干潟再生への道 2001年

千葉県が計画した三番瀬の埋立は、当初740ヘクタールに及ぶ大規模事業として構想されたが、東京湾の干潟が高度経済成長期にすでに九割失われていた現実を背景に、強い批判を招いた。1999年に縮小案として101ヘクタールに変更されたものの、下水処理場や道路建設が含まれており、自然環境や漁業への影響は避けられないとされ、住民や研究者、漁業者からの反発は続いた。合意形成には至らず、社会的な緊張が高まっていた。

2001年の知事選で「埋立中止」を掲げた堂本暁子が当選し、同年9月の県議会で正式に白紙撤回を表明した。これにより「造成から再生へ」という方向転換が明確となり、干潟を保全し修復するための取り組みが新たな課題として浮上した。堂本知事は市民参加を重視し、サンフランシスコ湾など海外の事例を参考に環境回復モデルを目指す姿勢を示した。東京湾で数少ない自然干潟を守ることは、環境政策にとどまらず、地域の誇りや暮らしを再生する営みと位置づけられた。

撤回後、県は2002年に三番瀬再生計画検討会議を発足させ、2004年には提言をまとめ、2006年に基本計画を策定した。そこでは生物多様性の回復、海と陸のつながりの再生、漁場の生産力回復、人と自然の共生などが目標とされた。段階的に護岸改良や藻場再生を行う仕組みが導入され、順応的管理の考え方が重視された。三番瀬の撤回劇は、日本社会が自然を壊す開発から自然と共に生きる再生へと価値観を転換した象徴的な出来事だった。

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