Friday, September 12, 2025

富山市 ― 環日本海交流と環境拠点化の先駆け ― 2002年の視座

富山市 ― 環日本海交流と環境拠点化の先駆け ― 2002年の視座

2002年当時、富山市は日本の地方都市の中でも「環境」と「国際交流」を融合させた都市戦略を前面に打ち出していました。その背景には、まず産業基盤としてのアルミ工業があります。富山県はアルミ精錬や加工で全国一のシェアを持ち、再生資源や省エネ技術を活用した「静脈産業」の育成に大きな可能性を秘めていました。また、富山港は日本海側有数の拠点港として、ロシア・韓国・中国など北東アジアとのコンテナ航路を展開し、経済交流とともに環境協力の舞台ともなっていたのです。

さらに、同時期に国連環境計画(UNEP)が主導する北西太平洋地域行動計画(NOWPAP)の本部事務局が富山市に設置されることが決まりました。これは日本海沿岸諸国の海洋環境保全を推進する国際機関であり、富山市が国際的な環境政策の発信地となる大きな契機でした。エコタウン事業も並行して進み、産業廃棄物の資源化やリサイクル技術の集積、そして人的交流の拡大が、地域から国際社会へと波及する構図が描かれていました。

2001年4月には市としてISO14001認証を取得し、自治体レベルで環境マネジメントシステムを導入したことも画期的でした。当時、日本全体では循環型社会形成推進基本法(2000年施行)や環境基本計画の見直しが進められ、「地方自治体が環境先進モデルをつくるべきだ」という機運が高まっていました。バブル崩壊後の景気停滞期にあっても、富山市は環境政策を地域振興の軸に据え、国内外に存在感を示そうとしたのです。

こうした動きは、21世紀初頭における日本の地方都市が「産業」「環境」「国際交流」を組み合わせて再生の道を模索する姿を象徴しており、富山市はその先駆けの一つとして注目を浴びていました。

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