Friday, September 12, 2025

海と風が導いた公共事業の転換 ― 2002年夏

海と風が導いた公共事業の転換 ― 2002年夏

2002年当時、日本の公共事業は依然としてバブル崩壊後の景気対策の柱とされていました。高度経済成長期以降、道路や橋、港湾、空港といったインフラ整備は地域経済を支えましたが、1990年代末にはその多くが「無駄な投資」として国民の批判を浴びるようになっていました。特に1995年から2007年にかけて進められた公共投資基本計画、総額630兆円という巨額の枠組みは「数字先行で環境や地域性を無視した巨大プロジェクト」と受け止められ、公共事業全体が利権型、浪費型、そして環境破壊型という負のレッテルを貼られるに至ったのです。

そうした時代背景の中で、一人の筆者が「南の離島」に呼ばれた体験が紹介されています。従来なら道路や港の建設が当たり前だった現場で、行政の担当者から求められたのは「従来型ではない新しい事業の形」でした。筆者は、島の自然資源を活かすことこそ将来の価値になると説き、再生可能エネルギーやリサイクル施設、そして環境保全への転換を提案しました。その場の空気は、旧来の事業を前提にする発注者と、未来を見据えた提案を持ち込む実務者の間で交わされる、静かながらも鮮烈な対話のように描かれています。

役所側は「これまで通りの道路整備では島の未来は拓けない」と悩み、筆者は「自然を守り資源を循環させる事業こそが観光や地域産業にも結びつく」と語りかけました。その言葉に担当者は頷き、確かに従来型の事業とは異なる可能性があると認めたのです。この小さなやり取りは、公共事業の本質を「景気対策」から「持続可能性の基盤」へと変えつつあった時代の空気を象徴しています。

ちょうど世界ではヨハネスブルグ・サミットが開催され、環境再生型の社会資本整備が議題となっていました。日本国内でも、地方の小さな島から芽吹いたこうした試みは、時代の転換点を告げる物語として印象的に響きます。

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