北海道上磯町「リサイクル循環工業特区」と2003年前後の時代背景
2000年代初頭、日本では小泉内閣のもとで「構造改革特区」が制度化され、地域の実情に合わせて規制を緩和し、新産業の育成や地域活性化を目指す取り組みが各地で模索された。その中で北海道上磯町が提案したのが「リサイクル循環工業特区」である。これは地域に根差した廃棄物循環システムを構築し、廃棄物を資源として再利用するモデルを地域レベルで実証しようとする試みであった。
特区提案の焦点は、廃棄物処理法の規制緩和にあった。従来は一般廃棄物と産業廃棄物が区分され、施設の許可も別々に必要だったが、上磯町は「廃棄物の性状に応じた施設許可の合理化」を求め、どちらかの許可を持つ施設であれば受け入れ可能とする仕組みを想定した。これにより、地域の資源循環を妨げる制度的な摩擦を減らし、実効性のある循環システムを築こうとしたのである。
当時は循環型社会形成推進基本法(2000年施行)が本格稼働し、全国的に廃棄物削減や再資源化が求められていた。京都議定書の発効を控え、環境政策全体が温室効果ガス削減や資源循環に重点を移すなかで、上磯町の提案は時代の要請を先取りするものだった。
その後、上磯町は2006年に大野町と合併し北斗市となったが、循環型社会形成の理念は引き継がれ、市は地域循環型社会形成推進地域計画を策定して分別・再資源化の高度化や市民参加を進めた。上磯の特区構想は、地域発の規制緩和による「実験場」として、資源循環型社会への日本の歩みを象徴する事例といえる。
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