Friday, September 19, 2025

売春防止法と吉原の終焉 ― 戦後から高度経済成長期

売春防止法と吉原の終焉 ― 戦後から高度経済成長期

戦後日本は、敗戦による社会の混乱と占領政策の下で大きな変革を迎えていた。連合国軍総司令部(GHQ)は民主化政策の一環として、戦時中に広がった公娼制度や特殊慰安施設協会(RAA)を問題視し、性の管理から女性の人権を重視する方向へと転換を促した。その流れを受けて1956年に売春防止法が成立し、吉原遊廓は正式に廃止された。江戸以来続いた公娼制度はここで終焉を迎え、日本社会は性と人権をめぐる新たな段階に入ったのである。

しかし廃止は同時に、長く続いた地域の産業や文化の転換を意味した。吉原は直ちに姿を消したわけではなく、歓楽街として営業形態を変えつつ存続した。表向きは「赤線」が消滅したが、実態としては「青線」と呼ばれる非合法営業が各地に広がり、制度廃止と現実との乖離が浮き彫りとなった。

1950年代後半から1960年代にかけて、日本は高度経済成長の時代に入り、都市化が急速に進んだ。吉原もまた、遊廓から歓楽街へと変貌し、風俗産業の新たな形態が広がっていった。売春防止法は女性の人権を守るという理念を掲げながらも、現実には性産業が形を変えて生き残る結果を生んだ。その意味で吉原の終焉は、日本の近代化と人権意識の進展、そして性産業の根強い存続という三重の矛盾を象徴していたのである。

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