無産政党結成の試み ― 大正末から昭和初期にかけての民衆政治参加の模索
1920年代の日本は、第一次世界大戦後の不況、関東大震災、そして急速な都市化による社会不安が渦巻く時代でした。米騒動に象徴される庶民の不満は政治への不信と結びつき、従来の政党政治に代わる新しい表現を求める動きが高まりました。その中で登場したのが、労働者や小作農など「無産階級」を基盤とした政党結成の試みでした。
無産政党は、議会に進出して労働条件の改善や小作料の軽減を訴え、資本家や地主に偏った政治に対抗しようとしました。全国で労働争議や小作争議が相次ぎ、民衆の政治意識は急速に拡大していったのです。しかし1925年の治安維持法施行により、社会主義・共産主義的と見なされる活動は徹底的に弾圧され、候補者擁立や選挙活動は常に監視と干渉を受けました。
それでも1928年の男子普通選挙の実施は大きな契機となりました。無産政党は各地で候補者を立て、議席獲得を目指しましたが、多くは落選し、票数も限られました。それでも数十万単位の支持票を得たことは、民衆の政治参加意欲の確かな表れでした。
無産政党の結成運動は、短期的には弾圧と挫折に終わりましたが、日本における「議会を通じた社会改革」の可能性を切り開きました。知識人の理論だけでなく、農民や労働者自身が政治の場に登場しようとした試みは、その後の社会運動や戦後の労働運動に連なる重要な萌芽であったといえます。
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