売春防止法と吉原の終焉 ― 戦後から高度経済成長期
戦後日本は敗戦の混乱と占領下の改革の中で大きな転換を迎えた。連合国軍総司令部(GHQ)は民主化政策の一環として公娼制度を問題視し、女性を国家が管理する仕組みを撤廃する方向へと誘導した。こうした流れの中で1956年に売春防止法が成立し、吉原遊廓は正式に廃止された。江戸時代以来続いた制度の終焉は、女性の人権をめぐる日本社会の重要な転換点となった。
ただし制度の廃止は現実と必ずしも一致しなかった。吉原はすぐに消滅したわけではなく、歓楽街として営業形態を変えつつ存続した。法によって「赤線」は消滅したが、各地に「青線」と呼ばれる非合法の営業が広がり、性産業は地下に潜りながらも継続された。理念と実態の乖離は、戦後社会の矛盾を象徴していた。
1950年代後半から60年代にかけて日本は高度経済成長の時代を迎え、都市化と消費社会の進展が進んだ。吉原も都市型の歓楽街として形を変え、風俗産業は新たな業態を取り込みながら拡大を続けた。売春防止法は女性の権利を重視する近代的理念を掲げつつも、結果として性産業の根絶には至らず、制度の表と裏を生んだのである。
吉原の終焉は、公娼制度の崩壊と人権意識の進展を示す一方で、社会に深く根差す性産業のしぶとさをも浮き彫りにした。ここには戦後日本の民主化と経済発展、そして道徳と現実の矛盾が凝縮されていた。
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