Thursday, September 18, 2025

遊女のルーツ ― 古代から中世への変遷

遊女のルーツ ― 古代から中世への変遷

遊女の起源をたどると古代日本に存在した「遊部」や「遊行女婦」に行き着く。遊部は天皇の葬儀に伴う歌舞を司る部民であり、彼女たちは神事や儀礼の担い手として芸能を披露していた。また『万葉集』には地方に赴任した貴族の宴席に呼ばれ、歌や舞を奉じる遊行女婦の姿が記録されている。彼女たちは貴族社会の潤いを支える存在であり、当初は娼婦的な意味合いを持たなかった。

しかし時代が下るにつれ状況は変化する。平安時代中期から末期にかけて交通網が整備され、河川や港町、宿場が人の往来で賑わうようになると、遊女たちは芸能に加えて性的な接待を行うようになった。特に摂津国の江口や山城国の河陽などは交通の要衝であり、遊女町が形成されることで地域経済の一端を担った。ここで遊女は宴席の芸能者から売春を生業とする存在へと変質していったのである。

平安末期には白拍子のように舞や歌に秀でながら権力者と深く関わった女性も現れ、源義経の愛妾として知られる静御前などはその代表的な存在であった。彼女たちは芸能者としての地位を保ちつつも、社会的には遊女と同列に扱われることが多かった。

こうした流れは中世を通じて広がり、遊女は芸能と売春の二重性を背負う存在として社会に定着した。そして江戸幕府が治安統制のために公認した吉原などの遊廓制度は、この中世的な遊女のあり方を制度化したものであった。すなわち遊女の歴史は宗教儀礼の担い手から都市社会の欲望を映す存在へと変遷した、日本社会の文化と経済の変動を映し出す鏡でもあったのである。

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