路地裏に漂う影―永井荷風が見た都市の裏面（大正から昭和初期）

路地裏に漂う影―永井荷風が見た都市の裏面（大正から昭和初期）

永井荷風は、大正から昭和初期にかけての東京を歩き、その華やぎの背後に潜む「裏」の姿を描き続けた文学者であった。浅草や玉の井に足を運び、裸電球の下で男を誘う女たちの姿や、湿気を帯びた狭い路地の匂いを克明に記録した。活動写真館やレビュー小屋に人々が押し寄せる浅草の表通りと、猥雑で暗い玉の井の裏通り。荷風はこの対照にこそ近代都市の真実を見たのである。

関東大震災によって東京は大きく破壊され、帝都復興計画のもと防火帯や広幅道路が整備され、浅草は映画館やレビューを中心とする近代的歓楽地へと変貌した。しかし同時に、玉の井や洲崎といった私娼窟は貧困と住宅難の中で拡大し、女たちの労働と犠牲の上に成り立っていた。社会の表には近代化と秩序が語られる一方、裏には制度の網目からこぼれ落ちた人々の暮らしが息づいていたのである。

荷風の視線は、単なる猥雑さへの好奇心にとどまらず、近代化の論理が切り捨てる人間の姿をすくい上げた。その筆致は、繁華街の喧噪と孤独、欲望と規制、自由と拘束がせめぎ合う都市の矛盾を余さず描き出している。秩序化された帝都の表舞台に対し、荷風が描いた路地裏の風景は、近代日本が抱え込んだ陰影の記憶として後世に刻まれた。