松山市(愛媛県)・金光町(岡山県) ― 炭化プラント設置事例とその時代背景
2000年代初頭、日本社会では循環型社会への転換が大きな課題となっていた。2000年に「循環型社会形成推進基本法」が施行され、食品リサイクル法、建設リサイクル法、家電リサイクル法といった個別法も相次いで整備された。背景にはバブル経済崩壊後の大量廃棄問題と、最終処分場の逼迫があり、廃棄物を「処理」から「資源化」へと位置づけ直す政策転換が進んでいた。
そのなかで、京都市伏見区に拠点を置くカーボテックは、炭化技術を用いた廃棄物処理の実用化に挑戦した。2002年、愛媛県松山市の石川工業と共同で剪定枝の炭化プラントを岡山県金光町に設置し、木質系廃棄物を炭化することで高付加価値の資材や燃料に転換する試みを始めた。同年12月には京都市内にも廃木材を対象とした炭化プラントを導入し、都市部と地方双方での展開を進めた。
この技術は単に廃棄物を減容化するだけでなく、副産物を焼却施設向けのダイオキシン吸着剤や民間需要のある吸湿剤として販売可能にし、新しい市場を切り開いた。ダイオキシン問題が社会不安を呼んでいた当時、吸着剤の需要は高く、公害防止と資源循環を同時に実現する取り組みとして注目を集めた。また、地方自治体や地域企業との協働によって設置が進んだ点も重要で、地元産業の活性化と環境負荷低減を両立するモデルケースとされた。
こうした動きは、2001年に環境庁が環境省へと昇格し、国を挙げて循環型社会の構築を進めていた時代の潮流とも呼応していた。炭化プラントの導入は、廃棄物を「環境リスク」から「資源」に変える試みの先駆けであり、地域から持続可能な社会づくりを模索した取り組みの一端であった。
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