Friday, September 19, 2025

仁義の口上 ― 昭和初期の香具師社会と漂泊の美学

仁義の口上 ― 昭和初期の香具師社会と漂泊の美学

香具師社会における「仁義」や「メンツウ(面通し=つきあいの逆読み)」は、単なる挨拶以上の意味を持っていました。学校教育を受けられず文字の読み書きができない者も多かった下層労働者や渡世人にとって、自己紹介の手段であり、仲間内での身分証明でもあったのです。

坂田浩一郎の口上はその典型で、「灰郷と発します、肥後熊本・銀杏城下がります」と出身地を高らかに告げ、「晒しの木綿を胸高に巻き雪駄履き、ただいまでは大東京の屋根の下、早稲田の杜の片ほとりに仮の住まいをまかりおります」と現況を語ります。さらに「通称さがりやの浩ちゃん」と自らのあだ名を加えることで、形式ばった口調の中にユーモラスな人間味を滲ませていました。

このやり取りが盛んだったのは大正末から昭和初期。関東大震災後の都市混乱や労働争議の高揚期で、香具師や日雇い労働者が全国を漂泊しながら稼業を営んでいた時代です。国家や資本から疎外されやすい彼らにとって、互いを確認し合い、面倒を見合う口上は生きるための安全網でした。とりわけ戒厳令下や治安維持法が強化されていた1920年代には、誰が味方で誰がよそ者かを瞬時に測る必要があり、口上はその役割を果たしたのです。

さらに、このメンツウは単なる遊芸ではなく、聞く側の笑いや共感を誘う娯楽性もありました。竹中労や映画監督深作欣二が実演を見て大笑いしたという記録が残るように、形式美と庶民的ユーモアが交錯する場は一種の舞台であり、当時の大衆文化の一端を映すものでした。

つまり仁義やメンツウのやり取りは、単なる口上にとどまらず、社会的に不安定な香具師たちが築いた独自の文化であり、差別や抑圧の時代背景の中で培われた生き残りの知恵として理解できるのです。

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