Friday, May 23, 2025

金の島に刻まれた影――佐渡鉱山の朝鮮人強制労働の記憶(1940年代)

金の島に刻まれた影――佐渡鉱山の朝鮮人強制労働の記憶(1940年代)

佐渡鉱山は、新潟県佐渡市に位置し、江戸時代から金銀の産出地として知られた日本屈指の鉱山である。明治以降、三菱合資会社によって近代的に整備され、国家的な重要資源の供給地となった。この鉱山が、太平洋戦争下の1940年代に入ると、朝鮮半島から連行された多くの労働者を迎えることとなる。

日中戦争以降、日本国内では深刻な労働力不足が生じた。政府はこの不足を補うため、「募集」「官斡旋」「徴用」といった名目で朝鮮人の動員を進めた。実態としては同意なき連行が行われ、彼らは日本本土各地の工場や鉱山に配置された。佐渡鉱山もその一つであり、1940年代前半には約1500人の朝鮮人労働者が従事していたとされる。

彼らが任されたのは主に地下坑道における採掘や運搬であった。酸素が薄く、高温多湿の坑内での作業は極めて過酷であり、保護具の欠如や長時間労働、安全管理の不備が重なり、事故や疾病、過労による死者を生む状況であった。労働に対する報酬も日本人とはかけ離れた低水準であり、時には未払いすらあった。逃亡を防ぐための監視が設けられ、ときには暴力的な管理も行われたという。これらの労働は、実質的に強制労働と呼ぶほかない性質のものであった。

戦後、佐渡鉱山における朝鮮人労働の実態は、徐々に証言や資料によって明らかにされていった。韓国ではこの鉱山を、日本による植民地支配と強制労働の象徴として記憶しており、元徴用工やその遺族による証言活動が今も続いている。一方、日本政府は、「徴用は当時の日本法に基づいた制度であり、国際法違反ではない」との立場を示してきた。

2022年、佐渡鉱山がユネスコの世界文化遺産候補に推薦されたことで、この問題は再び国際的な注目を集めた。推薦書では「強制労働」という表現は避けられ、「戦時中の労働者の存在に関する情報を丁寧に伝える」とされたが、これが韓国側の強い反発を招き、日韓の歴史認識をめぐる摩擦が改めて顕在化した。

佐渡鉱山における朝鮮人労働は、劣悪な環境と人権侵害を伴うものであり、日韓の歴史認識問題の焦点の一つである。現在もなお、調査・記憶・教育・補償の在り方をめぐる議論が続いている。特に世界遺産登録をめぐる国際的視点からは、歴史の「記憶の継承」と「政治的配慮」とのせめぎ合いが浮き彫りとなっている。

この鉱山に刻まれた記憶は、単なる労働の記録ではない。それは、抑圧された命と語られぬ声の積み重ねであり、私たちがどのように過去と向き合うかを問うものである。金の島に秘められたその影を、我々は直視する勇気を持たねばならない。

No comments:

Post a Comment