Friday, May 16, 2025

恥を越えて、芸を継ぐ――舟木一夫と凡児一門の昭和残照(1970年代)

恥を越えて、芸を継ぐ――舟木一夫と凡児一門の昭和残照(1970年代)

舟木一夫の自殺未遂が報じられたとき、世間は騒然とした。しかしマスコミは彼の行動を「恥を武器にできる絶好のチャンス」と評する。芸能人が精神的に追い詰められるのは決して珍しいことではない。芸の行き詰まり、スキャンダル、時代の変化、そして大衆の期待と失望。そのすべてが舞台に立つ者に重くのしかかる。

1970年代、日本の芸能界は新しい潮流に押され既成のスターが淘汰される時代だった。舟木は御三家の一角として絶頂を極めたものの、その後の居場所を見失いかけていた。テレビ文化の加速、アイドルの大量消費、そして歌謡界の世代交代はかつてのスターたちに苛烈な試練を与えた。そんな時代に「死にたいほどの恥」を逆手に取って舞台に立つという構図が、芸能の残酷な美学を浮き彫りにする。

そんな話題から転じて芸論として語られるのが西条凡児だ。テレビ番組『娘をどうぞ』での芸風は「名手が馬を乗りこなしているような、手綱さばきの鮮やかさ」と讃えられる。凡児の芸には即興と制御、秩序と混沌が混在していた。その力量は観客の呼吸を読み切る力にあった。

さらに語られるのは凡児の息子たち──笑児と遊児。コンビとして関西で活動する彼らには父親の芸人気質と反骨精神が確かに受け継がれている。彼らは父を「尊敬しているのがわかって気持ちがいい」と評されるほど芸を生活の一部として抱きしめている。

この親子三代の芸に流れるのは芸とは技術だけではなく「生き様」だという哲学だ。自殺未遂に至った舟木と芸を制御し生き抜いた凡児。その対比は昭和という激しい時代の中で芸能人がどう生きどう立ち上がるかの縮図でもある。

1970年代、日本の芸能は激動のただ中にあり、華やかさの裏に静かに命を削るような闘いがあった。舟木の再起は、凡児の継承は、その中から掬い取られた小さな芸と魂の記録である。

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