Saturday, May 3, 2025

逆賊の肖像――二・二六を抱いて沈黙する者(1970年代の残響)

逆賊の肖像――二・二六を抱いて沈黙する者(1970年代の残響)

「国家への遊賊であることの情熱よりも、自分に対する逆賊であること以外になんの余裕も残されていなかった」――。この言葉は、二・二六事件の青年将校たちの亡霊と、1970年代の政治的失語症が重なる場所から発せられる。昭和11年の未遂クーデターは、理想と狂気の狭間で鎮圧され、忠誠の名のもとに命を絶たれた。彼らの悲劇は、国家への怒りと天皇への矛盾した愛が同居した、重層的な精神の記録だった。

そして、1970年代――学生運動が敗れ去り、革命が挫折の記憶となった時代。語り手は、体制にすら挑めず、己の怯懦と妥協に目を背けられぬまま、革命という名の虚無と対峙していた。国家を責めることすら諦め、自らを責め続ける。その姿は、かつての将校たちの「死に様」ではなく、「生き残った者の悔恨」である。

逆賊とは、他者への反逆ではなく、自らに対する審判であるとするならば、70年代の若者たちは皆、沈黙の中で革命の墓守をしていたのかもしれない。

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