Saturday, May 17, 2025

老いを歌う舞台はあるか――宝塚定年制と忘れられた芸の年輪(1970年代初頭)

老いを歌う舞台はあるか――宝塚定年制と忘れられた芸の年輪(1970年代初頭)

宝塚歌劇が定年制を導入し五十六歳で舞台から去ることを求めるようになった時代。それは日本の芸能界が「若さ」を絶対的な価値と見なし「老い」に宿る芸の深みを排除し始めた瞬間でもあった。ある筆者はそんな現状に異を唱える。「処女の集団に六十歳になる人がいるのは珍しい」。それは皮肉であり痛烈な批判だった。若さを保ち続けることを宿命づけられた宝塚の舞台に年輪を重ねた芸人が立ち続けることは許されなかった。

対照的に紹介されるのはチャップリンとジェーン・フォンダの姿である。チャップリンは八十二歳でアカデミー賞特別賞を受け拍手喝采を浴びた。ジェーン・フォンダもまた政治的メッセージを内包した作品で評価を受けその名を確立していた。海外では「老い」は単なる身体的衰えではなく深まる芸の証でありその人物の歴史そのものだった。

だが日本の芸能界は老いた者を舞台から追い出していく。演技力 経験 人間の重み――それらは若さの煌めきの前にかき消されていく。1970年代はテレビという新しいメディアが台頭し瞬間的な視覚的魅力が求められるようになった時代でもあった。光よりも影に 熱よりも沈黙に宿る芸の味わいは求められなくなっていった。

この批判は宝塚という一つの劇団を超えて日本社会全体に向けられている。老いとは消費され尽くしたあとの終着点ではない。老いとは重ねた時の厚みを背負って立つもうひとつの始まりである。そのことを知らない社会に真の舞台は存在しえない。芸を歌い続けるためには年齢という枷を超えて表現の本質を見つめ直す必要があるのだ。

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