Saturday, May 3, 2025

灯の果て、紅のまま逝く――病める遊女の記憶(江戸〜昭和期)

灯の果て、紅のまま逝く――病める遊女の記憶(江戸〜昭和期)

江戸の吉原、そして昭和初期の私娼窟において、遊女が病に伏すことは、終焉の鐘に等しかった。梅毒や肺病に罹った者は、「牢屋部屋」と呼ばれる隔離所に送られ、商売の道を断たれたまま、静かに死を待つのみであった。たとえ美貌と才気で名を馳せた花魁であっても、病を理由に見放されるのは日常のことであり、それは多くの場合「自己責任」とされた。

若くして病没した吉原の名妓・高尾太夫、また『甲子夜話』に記された名もなき遊女たちは、病を得たことで無用の身とされ、死を迎えてなお世に名を残すことはなかった。遺体は吉原近くの浄閑寺へと運ばれた。「生れては苦界、死しては浄閑寺」という石碑の句は、忘れられた者たちへの静かな鎮魂である。

文学もまた、病める遊女の姿を描き続けた。近松の梅川やお初、一葉の「にごりえ」のお力、荷風の「濹東綺譚」のお雪――病と絶望の果てに、なおも紅を差し、美しくあろうとした女たち。制度に翻弄されながらも、その最期まで誇りを手放さなかった灯のような命が、時を越えて静かに息づいている。

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