静かな島に積もる毒 豊島事件の記憶 1975年から2022年
瀬戸内海に浮かぶ小さな島、香川県豊島。この静かな島で1975年ごろから目に見えぬ毒が積もりはじめた。兵庫県の業者が持ち込んだ廃油や廃酸、溶剤などの産業廃棄物は、豊かな自然の中に無造作に投棄され、時には野焼きで処理された。黒い煙が島を覆い、悪臭が日常となる。だが行政はその異変に沈黙を貫いた。
住民たちは次第に健康不安を覚え、暮らしに忍び寄る影に抗い始める。1990年、彼らは香川県を相手取り「行政が不法投棄を黙認した」として裁判を起こす。国と県、そして産廃業者を相手取った闘いは、やがて全国の注目を集め、住民たちの声は静かな波紋を広げていった。
2000年、ついに香川県と住民の間で和解が成立する。県は責任を認め、産業廃棄物を対岸の直島へ移送し、焼却再資源化することを約束した。この作業は容易ではなかった。廃棄物だけでなく、汚染された土壌や地下水も含め、総搬出量はおよそ91万トン。三菱マテリアルの施設にて、技術と時間をかけて処理が進められた。
廃棄物の完全処理が完了したのは、事件発覚から半世紀近くを経た2022年。その間に費やされた公費は数百億円。かつて穏やかな暮らしが営まれていた島は、環境再生の象徴として新たな歩みを始めている。しかしこの物語にはまだ終わりが訪れていない。2018年1月、廃棄物を撤去した跡地から新たに汚泥85トンが発見された。処理を終えたはずの土地から再び姿を現した汚染の痕跡に対し、現在その処理方法が慎重に検討されている。
この事件は日本の廃棄物行政に大きな影響を与えた。不法投棄に対する規制の強化、トレーサビリティ制度の導入、そして廃棄物処理法の改正。いずれも豊島事件の教訓を刻んだものだ。そして何より、住民の粘り強い運動が、環境正義を勝ち取る道を照らした。
かつて毒に沈んだこの島は、今ではアートと自然の再生を掲げ、訪れる者に静かな問いを投げかけている。
【関連情報】
住民による記録と年表は、豊島島の学校の公式サイトにて確認可能。
香川県の公式ウェブサイトでは、処理の経過や行政対応の詳細が掲載されている。
現地にある「豊島のこころ資料館」では、住民運動の記録や廃棄物の実物標本などを展示中。
No comments:
Post a Comment