名古屋に交差する影――石川尚、美空ひばり、そして興行の裏舞台(1950年代〜2000年代)
石川尚(いしかわ ひさし)は、三代目山口組の平松組で舎弟頭を務めた人物である。その後、1977年に名古屋市を拠点に「名神会」を創設し初代会長に就任。山口組直系組長として昇格し、四代目、五代目、六代目山口組でも舎弟として名を連ねた。名古屋という都市は、関西と中部の結節点であり、山口組にとっても重要な戦略拠点であった。石川の存在はその意味でも象徴的だった。
彼の背後には、もう一つの名古屋の"舞台"が広がっていた。神戸芸能社――三代目山口組組長・田岡一雄が1957年に設立したこの芸能興行会社は、戦後芸能界の裏舞台を支配した存在である。神戸芸能社は全国で興行網を展開し、その支店が名古屋にも存在したとされる。また、同地では「名神プロ」なる興行会社が活動していた形跡があり、神戸芸能社と関係があった可能性も指摘されている。
この興行網の最大の象徴こそが、美空ひばりであった。彼女は田岡一雄の庇護を受け、「神戸芸能社の華」として全国を巡演し、その影には石川尚ら山口組の幹部が支えとなっていた。ひばりは田岡にとって実の娘のような存在であり、神戸芸能社の威光と収益の中核を担った。名古屋支店やその周辺での活動は、興行と任侠の交錯を最も端的に表す舞台であった。
2007年、石川尚は名神会会長を引退。跡を継いだ田堀寛は山口組直系組長へと昇格し、名神会は現在も山口組の有力な二次団体として名古屋の地に息づいている。一方、神戸芸能社はその後、暴力団排除の流れの中で活動を縮小し、やがて解散した。しかし、そこに描かれた興行と裏社会の交差点、美空ひばりという星の軌跡、そして石川尚という影の存在は、名古屋の戦後史に深く刻まれている。
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