Saturday, April 26, 2025

白き飯、黒き死の影(明治三十七〜三十八年)

白き飯、黒き死の影(明治三十七〜三十八年)

俺たち陸軍の兵隊は、眩しいくらいに白く磨かれた飯を支給されていた。最初はそりゃ嬉しかったさ。農家の生まれの者なんか、白米なんて祭りでも滅多に口にできるもんじゃなかった。腹いっぱい真っ白な飯を食える、戦場に来てそんな贅沢があるとは思わなかった。だが、しばらくすると、体の様子がどうにもおかしくなった。足が痺れて思うように立てない。食ってるはずなのに、どんどん痩せていく。夜になると、寝床の中で勝手に体が震え出す。仲間内では「かっけ」と呼んでいたが、最初は「贅沢病だ」と誰もが笑っていた。けれど、笑っているうちに息を引き取る奴が出はじめた。

一方で、海の向こうの兵隊たちは違った。あいつらは麦を混ぜた飯を食って、脚気にはならなかったそうだ。聞けば、ある偉い軍医さんが麦飯を推奨して、海の連中にはちゃんとした食事をさせていたらしい。だが、俺たち陸の兵隊を診る軍医様は違った。これまた名の知れた偉い先生でな、「脚気はばい菌が原因だ」と言い張り、麦なんぞ下賤の食い物だと決めつけ、麦飯の導入を断固として拒んだ。学問も肩書きも誰にも負けぬお方だったが、俺たちからすりゃ、そんなものは何の役にも立たなかった。間違いを認めることも、兵の命を救うこともできなかった。ただただ、自分の説にしがみつき、俺たちはその犠牲になった。

戦で銃弾を浴びて死ぬなら、まぁ仕方がねぇと思えた。だが、飯を食うたびに命を削られ、足を引きずり、寝たきりになり、最後には痙攣して死んでいく。それがどれほど悔しかったか。撃ち合いで死んだ仲間より、脚気で倒れた仲間のほうが多かったんじゃないか、そんな噂が絶えなかった。戦わずして命を落とす兵の無念さを、あの軍医様たちは少しでも想像できただろうか。白米の光沢の下に隠れた死神を、俺たちは毎日、口に運んでいたんだ。

もしあのとき、海の兵隊と同じ麦飯が支給されていたなら、死なずに済んだ命がいくつあったか。もしあのとき、偉い先生が「間違えた」と一言でも認めてくれていたなら、どれだけ多くの若い命が、異国の地で朽ちずに済んだか。だが、俺たちには軍の決定に抗う術などなかった。ただ命令に従い、飯を食い、朽ちていくしかなかった。権威という鎧に閉ざされた誤りが、これほど多くの命を奪ったのだ。あの白い飯の輝きと、それに続いた地獄を、俺は今も忘れることができない。

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