白き飯、痺れる脚――ある兵の記憶(明治三十七〜三十八年・日露戦役)
日露戦争(1904〜1905年)のさなか、陸軍の兵士たちには精白された白米が主食として支給されていた。精米技術の進歩によって真っ白な米は衛生的かつ贅沢な食事と見なされ、多くの兵に歓迎されたが、やがて深刻な健康被害を引き起こすこととなる。多数の兵が脚気を発症し、足のしびれ、歩行困難、さらには重篤な場合には心不全によって死亡する事例も続出した。
これに対し、ある軍では、近代的な栄養管理を実践する軍医の指導により、麦飯などを取り入れた食事改革が進められており、脚気の発症率を大幅に抑えていた。一方、別の軍では、当時の最高位の軍医が脚気を細菌性の感染症とする学説を支持し、栄養欠乏との関係を否定していたため、麦飯の導入は見送られた。
その結果、戦死よりも脚気による死亡者数の方が多かったとの指摘もある。例えば、戦中における脚気による死者数は約27000人とされ、これは戦闘による戦死者数(約47000人)の半数を超える規模であった。兵士たちの間では「弾で死ぬなら本望だが、飯で死ぬのは悔しい」といった声も漏れたという。
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