《夏の砲火――1997年・新神戸ティーラウンジの暗殺劇》
1997年(平成9年)8月28日、神戸市の新神戸オリエンタルホテル4階のティーラウンジで、五代目山口組若頭・宅見勝が射殺されるという前代未聞の事件が発生した。午後2時すぎ、ホテルの喫茶スペースに現れた宅見氏は、山口組総本部長・岸本才三、副本部長・野上哲男とともに談笑していた。そこへ4人組の襲撃犯が現れ、宅見氏の頭部に2発、胸部に5発、合計7発の銃弾を浴びせ、即死させた。
この発砲により、居合わせた民間人の歯科医師も流れ弾に当たり、6日後に命を落とすこととなった。組織の幹部だけでなく、一般市民にも死傷者が出たことで、事件は日本中に衝撃を与えた。
この暗殺劇の背後には、山口組内部の権力闘争が存在していた。とりわけ焦点となったのが、中野会会長・中野太郎と宅見勝若頭との深刻な対立である。1996年、中野会関係者が京都で銃撃された事件をめぐり、宅見氏が中野氏と相談することなく和解に動いたことが、両者の溝を決定的なものとした。加えて、宅見氏が六代目の座に近づいていたことが、中野氏の反発を一層激化させた。
事件発生後、山口組執行部は中野会の関与を断定。わずか3日後の8月31日には、中野太郎を破門処分とする異例の措置を取った。これにより、事件は単なる一幹部の死ではなく、山口組内の血の粛清と見なされた。
襲撃の瞬間、すぐ隣で座っていた岸本総本部長は命を取りとめたが、目前で若頭が倒れる様を目にした衝撃は計り知れない。岸本氏は宅見氏とともに組織の合理化や抗争抑制に取り組んでおり、保守派と改革派のはざまに揺れる山口組の中で、微妙なバランスを保っていた存在であった。
宅見勝は、経済ヤクザとして知られ、山口組の資金力を支えたナンバー2でありながら、内紛の只中で61歳の生涯を閉じた。新神戸のティーラウンジに響いた銃声は、日本最大の暴力団における権力抗争の終わりと始まりを告げるものとなった。
【関連情報】
・宅見勝(たくみ まさる):山口組五代目若頭、資金管理や企業交渉を担当し、「経済ヤクザ」の異名を持つ。
・中野太郎:中野会会長。1996年の銃撃事件を契機に宅見氏と対立。事件後に破門される。
・岸本才三:山口組総本部長。事件当時、宅見氏の隣に同席していたが無事。組織内のバランス維持に尽力した人物。
・事件の影響:民間人死亡を含む重大事件となり、山口組内外に大きな衝撃を与える。中野会は事実上壊滅状態に。
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