Tuesday, June 3, 2025

愛と革命のあいだで――藤本敏夫と加藤登紀子の半世紀 1970年代〜2000年代

愛と革命のあいだで――藤本敏夫と加藤登紀子の半世紀 1970年代〜2000年代

藤本敏夫と加藤登紀子の歩みは、一九六〇年代から二一世紀初頭にかけての日本の激動の時代を象徴するものだ。二人の人生は、学生運動、獄中結婚、有機農業、そして芸術活動という複数の文脈のなかで交錯し、社会変革と個人の信念がいかに結びつくかを体現している。

藤本敏夫は一九四四年に生まれ、一九六〇年代の高度経済成長期における日本社会の矛盾に強い問題意識を抱き、学生運動のリーダーとして頭角を現した。とりわけ一九七〇年の安保闘争では、反戦と反体制の立場から運動の最前線に立ち、中核派の一員として知られていた。ベトナム戦争の影、拡大する格差、都市の歪み。こうした時代背景の中で、若者たちの間には「社会を変える」という熱が燃え上がっていた。藤本はその渦中で逮捕され、中野刑務所に収監された。

一方、加藤登紀子は一九四三年に生まれ、東京大学在学中にシャンソン歌手として活動を始めた。六六年に「誰も誰も知らない」でデビューし、「ひとり寝の子守唄」「赤い風船」「知床旅情」「百万本のバラ」などのヒット曲を世に送り出す。彼女の歌声は、反戦と人間愛を静かに湛え、政治的スローガンに堕することなく詩情と力をあわせ持っていた。

二人が出会うのは、藤本が獄中にあるときだった。七二年、加藤は中野刑務所に収監中の藤本と「獄中結婚」を果たす。これは当時の社会に衝撃を与えたが、単なる恋愛を超えた、思想と感情の一致という稀有な結合でもあった。加藤は彼の思想に惹かれたと語り、芸術家としての自立と、変革者としての共感を重ね合わせていた。

七四年に藤本が出所すると、彼は社会運動とは異なる形で社会改革を試みる。選んだのは農業という道だった。有機農産物の共同購入を行う「大地を守る会」を設立し、千葉県鴨川市には「鴨川自然王国」を創設する。それは単なる農場ではなく、都市と農村の循環、自然との共生を掲げた、新しいライフスタイルの提案だった。彼の口癖は「誰もが農業に関われる社会」。大量生産・大量消費の経済社会に対する静かな反逆が、そこにあった。

加藤もまた、藤本の活動を支えつつ、自らの表現を深めてゆく。九二年にはスタジオジブリ作品『紅の豚』に出演し、主題歌・エンディングテーマを担当。時代を超えて広がるその歌声は、七〇年代の闘争の記憶から、二一世紀の希望までを繋いでいた。

藤本は二〇〇二年に死去するが、その理念は「農的幸福論」や「自然王国」の活動として、今も生き続けている。加藤は今も歌い続け、若い世代に語りかける。二人の次女・八恵(Yae)もまた、母と同じく歌手として活動し、家族の中に流れる思想と表現の系譜は確かに受け継がれている。

この夫婦の軌跡は、政治と愛、社会運動と芸術、都市と農村、思想と実践がどのように交差し、一つの人生に結晶するかを示している。混迷する現代にあっても、なお深い示唆を与え続けてくれる、生き方の物語である。

No comments:

Post a Comment