理性の檻と信仰の牢――共産主義と宗教の頑迷性について - 2025年5月
共産主義と宗教はいずれも「絶対の正しさ」を掲げ、異なる考えを許さない構造を持つ。共産主義は搾取なき平等社会を目指すが、現実には国家権力の集中と思想弾圧をもたらした。言論や信仰の自由は奪われ、宗教は迷信として粛清された。他方、宗教も神や経典を絶対視し、理性による反論や時代変化への適応を拒むことが多い。異端審問や戒律の強制に見られるように、信仰の名による排除もまた深い頑迷性の表れである。共産主義が歴史法則を、宗教が神意を根拠とする点で両者は似ており、いずれも異論を「反革命」や「背教」として退ける。思想家たちはこうした全体主義を「思考の停止」として批判した。本当の自由は、正しさの押しつけではなく、問い続けることの中にある。共産主義と宗教の頑迷性は、その危うさ
を私たちに示している。
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