Monday, September 15, 2025

流行歌の曙光 ― 佐藤千夜子と「東京行進曲」 1920年代~1960年代

流行歌の曙光 ― 佐藤千夜子と「東京行進曲」 1920年代~1960年代

佐藤千夜子は日本初の商業レコード歌手であり、昭和四年の『東京行進曲』で二十五万枚の大ヒットを記録し、大衆音楽を国民的娯楽へと押し上げた。山形県天童市出身で東京音楽学校に学び、野口雨情や中山晋平と全国を巡り歌を広めた。大正十四年のラジオ放送開始と共に歌声を全国に届け、黎明期の歌謡界を支えた。代表曲「東京行進曲」は、当時十万台しかなかった蓄音機時代に驚異的な売上を誇り、西條八十を歌謡界に引き入れる契機ともなった。また「紅屋の娘」「黒百合の花」なども人気を博し、古賀政男の「影を慕いて」を歌い彼を世に送り出したことも重要である。さらにオペラ留学で日本民謡を海外に紹介するなど先駆的な試みも行ったが、帰国後は藤山一郎ら新世代の台頭に押され影が薄れた。戦時中は慰問活
動で兵士を励ましたが、戦後は生活困窮や逮捕事件に苦しみ「薄幸の歌姫」と呼ばれた。昭和四十三年に七十一歳で没し、病床で「東京行進曲」を口ずさんだと伝えられる。東海林太郎や淡谷のり子が長く活躍したのに比べ、佐藤は短命の栄光と転落を体現し、日本流行歌の光と影を象徴した存在であった。

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