乙羽信子 ― 戦後映画に生きた庶民の母性と哀歓(1924~1994)
乙羽信子は宝塚歌劇団出身で、その愛らしい笑顔から「百万ドルのえくぼ」と呼ばれ、戦後の混乱期において大衆の心を和ませた。だが彼女の真価は、新藤兼人監督との出会いによって大きく開花する。戦後日本映画は検閲を経て民主主義や庶民の生活を題材にした作品が求められる時代に入り、乙羽は単なるアイドル的存在から、生活感を纏った実力派女優へと成長を遂げた。
1951年の「愛妻物語」では、結核に倒れる若妻役を演じ、淡々とした日常の中に死の影を落とす姿をリアルに表現し、観客の涙を誘った。この作品を契機に、彼女は悲哀と庶民性を兼ね備えた存在として評価されるようになる。以後「縮図」「原爆の子」「裸の島」など新藤作品を中心に、社会の矛盾や庶民の苦しみを体現する役柄に挑み続けた。特に「香華」では母親役を演じ、性格俳優としての地位を不動のものにした。
同時代に活躍した原節子が理想化された美の象徴であり、高峰秀子が庶民的知性を備えた国民的女優であったのに対し、乙羽はより生活に密着した女性像を体現した。華やかな美貌よりも庶民的な風貌、やや丸みを帯びた顔立ちと優しい眼差しは、観客に身近さを感じさせ、戦後の復興期における「母」としての役割を担った。
私生活では新藤兼人の伴侶として創作活動を支え、二人三脚で数多くの作品を生み出した。時代の荒波に翻弄されつつも、乙羽信子は昭和の日本映画に欠かせない「庶民の母性」の象徴として、確かな足跡を残した。
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