### グラマーの幻影 泉京子という女優の軌跡―1950年代から1960年代
泉京子は1937年、東京浅草に生まれ、本名を竹中久代といった。高校を中退して松竹演技養成所に入所した彼女は、1956年の『ホガラカさん』で銀幕デビューを果たした。身長165センチ、そして豊満な肢体は当時「和製シルヴァーナ・マンガーノ」と称され、日本映画界において独自の存在感を放った。1950年代の邦画黄金期に登場した彼女は、原節子や高峰秀子といった正統派の女優たち、あるいは淡島千景のようなモダンガール的存在とも異なり、グラマー女優としての個性を前面に押し出した点で同時代の中でも際立っていた。
代表作の一つ『禁男の砂』では、海女を演じながらも単なる艶やかさに留まらず、海と女の宿命を重ね合わせるような役どころに挑んだ。この作品は続編『続禁男の砂』へとつながり、泉京子の名をさらに広めることになった。また、小津安二郎監督の『お早よう』(1959年)に出演したことは、彼女のキャリアにおける特筆すべき一頁である。小津作品は家庭や日常を静かに描くことで知られており、そこでグラマー女優である泉が存在感を示したことは、役柄の幅を広げる試みとして注目された。
同世代の女優たちを顧みれば、京マチ子は『羅生門』で国際的評価を得、淡島千景は宝塚から松竹へと移り喜劇からシリアスな演技まで幅広くこなした。これに比べると泉京子の活躍は短期間に集中しており、その後はフリーに転じて1963年に一度引退する。しかし1968年に東映作品で復帰し、『不良番長』や『旅に出た極道』などで再びスクリーンに姿を現した。その華やかさと妖艶さは、一瞬のきらめきとして観客の記憶に焼き付けられたのである。
彼女の存在は、戦後日本が豊かさと自由を模索していた時代の象徴ともいえる。原節子の清楚さや高峰秀子の演技力、淡島千景の都会的な軽やかさとは異なり、泉京子は肉体そのものが語る表現力で観る者を惹きつけた。松竹の"グラマー女優"として、そして「美人女優」の系譜の中で、彼女は短い活動期間ながらも独自の輝きを残した。
No comments:
Post a Comment