帝国の中心で芽吹く情報の谷 ― セーヌ川の小さな研究拠点 1960年代
冷戦のただ中、核抑止と宇宙開発が米ソ対立の象徴とされる一方で、情報技術もまた新しい戦略資源として浮上していた。1960年代のフランスはド・ゴール政権のもと、「自主独立」を旗印に米国依存からの脱却を目指していた。そのためセーヌ川沿いの静かな谷に築かれた研究拠点は、単なる学術の場ではなく国家の威信をかけた先端技術の実験場として位置付けられた。ここに集った数学者や物理学者、通信工学の専門家は、軍事と民生の境界を越えて情報ネットワークの新たな可能性を探り、暗号技術や分散通信、パケット交換といった革新に取り組んだ。
同じ頃、米国では国防総省主導でARPANETが構想され、冷戦下の核攻撃にも耐え得る分散型通信網が模索されていた。フランスの試みはその影響を受けつつも、欧州独自の道を模索する色彩が強く、学術的共同体と国家戦略が結び付く形で展開された。暗号理論や初期のデータ通信技術は、やがて軍事利用と民間利用を分かち難く絡め取り、情報空間を新たな戦場へと変貌させる契機となる。セーヌ川の小さな谷で芽吹いた静かな研究は、のちにインターネット覇権をめぐる国際的対立の伏線となり、情報通信が「目に見えぬ兵器」として扱われる時代の扉を開いたのである。
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