歌手 夜が明けたら 新宿蠍座発 出立のブルース 1968-1970
浅川マキの夜が明けたらは、一九六九年七月一日、東芝音楽工業のエキスプレスレーベルからシングルとして発表された。品番はEP-1156。作詞作曲は浅川マキ、編曲は山木幸三郎。表題曲は新宿の地下小劇場 蠍座での実況録音、カップリングは寺山修司の詞によるかもめで、こちらはスタジオ録音という対比が鮮やかだ。赤盤の七インチとして知られる初出は、のちのイメージまで規定するほど強い空気を刻み込んでいる。
この歌が生まれた場である蠍座は、アートシアター新宿文化の地下にできた小劇場で、六八年十二月に三夜連続の公演が組まれ、開演は夜十時という実験的な時間帯だった。構成演出は寺山修司。朗読や独白を挟む進行は、歌が単なる楽曲を超えて一つの宵を編む儀式のように響くことを促した。そこで育った評判はゴールデン街や路地の酒場を巡り、局地的な熱として広がり、やがてレコードへと結晶した。
レコードの扉を押し開ける夜が明けたらは、低く燻る声で、始発の汽車に乗るという出立のイメージを差し出す。逃避と再起が同居する語り口は、明け方の湿り気を帯びた街角を思わせる。バンドは抑制的で、間合いを大きくとり、言葉の余白に耳を澄ませるように進む。行く宛の知れない旅支度が胸の奥に静かに積もり、聴く者は自分の足元を確かめるようにして最後の一音を迎える。
翌一九七〇年九月五日、ファーストアルバム 浅川マキの世界 が発売され、冒頭に夜が明けたらの別テイクが据えられた。アルバムはスタジオと蠍座のライブ音源が混在する構成で、蠍座で培われた舞台の温度が、盤面のあちこちから立ちのぼる。のちに語られる浅川マキ像の原形が、この時点でほぼ出そろっている。
シングルとアルバムの聴き比べをすれば、同じ曲が置かれた文脈の違いがよくわかる。蠍座の生々しさを閉じ込めた初出の手触りと、アルバムという物語の冒頭に置かれた別テイクの映画的な導入感。その差異は浅川マキが一作ごとに場を設計し直す歌い手だったことを教えてくれるし、のちに編集盤でシングルバージョンが改めて掘り起こされる意味も、そこに見えてくる。
夜が明けたらを聴くという行為は、レコードが切り取った新宿の夜気に触れ、自分の朝の重さを測り直すことでもある。街のざわめきが遠のく直前、始発の気配が近づく手前。その狭間に立ち、行く先の輪郭をまだ名づけられない時間。その感覚こそが、半世紀を越えてもなお、この歌を現在へ連れ戻し続けているのだろう。
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