Monday, September 8, 2025

退廃と華やぎの肖像 ― 沢田研二と1970年代

退廃と華やぎの肖像 ― 沢田研二と1970年代

1960年代末、グループ・サウンズの熱狂の中で沢田研二はザ・タイガースのボーカルとして登場し、甘美な歌声で青春の象徴となった。GSブーム終息後はPYGを経てソロへ転じ、演劇的な歌唱と視覚表現で独自の世界を築く。1970年代は高度成長から停滞へと揺れる時代で、オイルショックにより人々は不安を抱えたが、テレビ歌謡は逃避と華やぎを提供した。沢田は「許されない愛」「危険なふたり」で都会的愛の刹那を歌い、「時の過ぎゆくままに」で倦怠を映した。決定打は77年「勝手にしやがれ」で、帽子を投げる所作と共に大賞を獲得し、79年「カサブランカ・ダンディ」、80年「TOKIO」で常に自己を刷新した。同世代の吉田拓郎や井上陽水が内面を歌い、五木ひろしや森進一が演歌やムード歌謡を支えたのに対し、沢田は退廃を華
やぎに変える演劇性で異彩を放った。俳優としても『太陽を盗んだ男』で虚無と反逆を体現し、時代の不安を色気へ昇華させた。こうして彼は1970年代の日本における総合的スターの姿を示し、大衆に夢と逃避を与え続けた。

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