Wednesday, September 24, 2025

鉄くずの向こうに見えた課題―自動車リサイクル法をめぐる議論 2001年

鉄くずの向こうに見えた課題―自動車リサイクル法をめぐる議論 2001年

2001年前後の日本では、年間約400万台の廃車が発生していた。高度経済成長以降、自動車保有台数は急増し、使い終わった車の行方が社会問題化していた。とりわけ深刻だったのは、シュレッダー処理の後に残る「ASR(Automobile Shredder Residue=シュレッダーダスト)」の存在である。可燃物やガラス、繊維などが混ざり合い、リサイクルも困難で、最終的には埋め立て処分に頼るしかなかった。全国で年間約50万トンが発生し、最終処分場の逼迫と環境汚染の懸念が高まっていた。

こうした中で政府が策定を進めていたのが「自動車リサイクル法」である。基本的な狙いは廃車のリサイクル率を引き上げ、廃棄物の減量と資源循環を促すことにあった。しかし議論の核心は「費用を誰が負担するのか」という点に集中した。自動車メーカーは「新車購入時にリサイクル料金を前払いすべきだ」と主張し、廃棄時の負担集中を回避しようとした。一方で中古車業者や解体業者は「ユーザーが最後に廃車するときに払うべきだ」と反発し、業界間での駆け引きが続いた。

また、シュレッダー業者はASR処理の困難さを訴えた。新たな焼却技術やセメント原料としての活用法が模索されたが、当時は実用化が進んでおらず「果たしてそれは可能だろうか」と疑問が投げかけられていた。行政は法律制定に向け調整を急いだが、処理技術と費用負担の両立は容易ではなかった。

2001年という時代背景には、循環型社会形成基本法の施行や京都議定書を受けた温暖化対策の強化があり、リサイクル制度の整備は避けて通れない課題だった。同時に、最終処分場の残余容量は逼迫し、自治体が新たな埋立地を確保することも難しくなっていた。自動車リサイクル法をめぐる議論は、単に業界の利害調整にとどまらず、日本社会全体が「大量生産・大量廃棄」から脱却できるかどうかを問いかける象徴的な場となった。

結局、2002年に自動車リサイクル法は成立し、2005年から施行されることになるが、その前夜の議論には産業界、行政、市民の三者が交錯する会話のような緊張感が漂っていた。

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