Sunday, September 14, 2025

「阿蘇と球磨に響く農村再生の調べ」―2002年前後の視点から

「阿蘇と球磨に響く農村再生の調べ」―2002年前後の視点から

2002年前後の日本では、農村部の人口減少と高齢化が進み、耕作放棄地の増加が深刻な問題となっていた。特に中山間地域では担い手不足が顕著で、農地の維持管理が困難となり、集落の衰退や都市との格差が拡大していた。国は循環型社会形成推進基本法や構造改革特区制度を次々と導入し、疲弊する農村に新たな活力を吹き込む方策を模索していた。

そのような流れの中で生まれたのが、熊本県の阿蘇・球磨地域を舞台とした「農村生活体感交流特区」である。この特区では、農業者以外の人も農地を取得できるよう規制を緩和し、都市住民の参加を可能とした。さらに農家民宿の開業に関する規制を緩和し、公設交流施設を民間に委託するなど、外から人を呼び込みやすい仕組みを整えた。

狙いはグリーンツーリズムの推進であった。都市住民が農村に滞在し、農作業や自然環境を体験することで交流人口を増やし、農村に新しい収入源を生み出す。地産地消の仕組みを整え、地域産物の価値を高めることも重視された。これは観光振興にとどまらず、放棄されつつある農地を再生し、農村の持続性を支える戦略でもあった。

当時は「癒し」や「スローライフ」への関心が社会に広がっており、都市と農村をつなぐ動きが注目を集めていた。阿蘇と球磨の特区構想は、自然と文化を資源として再生を図る地方農村の挑戦であり、衰退の只中で新たな希望を描く試みとして大きな意味を持っていたのである。

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