町娘の修練 ― 江戸末期嘉永期に描かれた武家奉公の風俗(江戸 嘉永元年 一八四八年)
嘉永元年(一八四八年)に刊行された草双紙『教草女房形気』の表紙には、武家屋敷の奥向きへ行儀見習いに上った町娘の姿が描かれている。手にしているのは鎖付き箸で、これは食事作法を誤らぬよう二本の箸を鎖でつないだ道具であり、礼儀作法を学ぶ少女にふさわしい象徴とされた。当時、江戸の町では、町娘が武家屋敷へ奉公に出て、料理や裁縫だけでなく、言葉遣いや所作を学ぶことが一般的であった。これには家計を助ける意味合いと、将来の婚姻に備える修練としての役割があった。
天保の改革後の社会は依然として不安定であったが、都市文化は成熟し、武家と町人の生活はかつてないほど近接した。奉公に出た町娘は、身分秩序の枠内で武家社会に適応し、生活技術と礼節を身につけていった。その姿は、江戸という大都市が抱えていた社会の流動性と、庶民生活の逞しさを象徴している。草双紙に残された挿絵は、江戸末期の町人文化の一端を生き生きと伝える貴重な風俗資料といえる。
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