Thursday, September 11, 2025

永遠の青春像 ―

永遠の青春像 ―
吉永小百合と昭和後期から平成への歩み(1960年代~2020年代)

吉永小百合は1960年代初頭、日活のニューフェイスとして登場し、瞬く間に国民的女優へと成長した。戦後の高度経済成長のただ中で、彼女がスクリーンに映し出したのは、純真さと知性を兼ね備えた「永遠の少女像」であった。同世代には松原智恵子や和泉雅子といった日活スターが並び立ち、また少し下の世代には山口百恵が登場するが、吉永が放つ透明感は別格であり、時代が移ろっても観客の心を捉え続けた。

代表作のひとつ『キューポラのある街』(1962年)は、埼玉川口の鋳物工場の町を舞台に、貧しい家庭に育ちながらも懸命に生きる少女の姿を描いた作品である。ここでの吉永の演技は、それまでの「清純派」の枠を超え、社会の矛盾や労働者の暮らしを背負う存在として観客の胸を打った。また『伊豆の踊子』(1963年)では、川端康成の原作を背景に、旅の中で芽生える淡い恋を繊細に表現し、文学的な香りを漂わせた。さらに『愛と死をみつめて』(1964年)では、難病に冒された恋人を支える女性を熱演し、フィルムの外にまで広がる純愛の象徴となった。この作品は実際の手記をもとにしたこともあり、社会現象ともいえる反響を呼んだ。

その後、吉永は『動乱』(1980年)や『北の零年』(2005年)といった重厚な作品に出演し、役の幅を広げていった。『動乱』では国家と個人のはざまで揺れる女性を、また『北の零年』では北海道に渡った開拓民の妻を演じ、歴史の荒波を生きる人間像に深みを与えた。特に『動乱』以降は、彼女自身が「もっと丁寧に生きたい」と語ったように、役への取り組み方が大きく変わり、作品ごとに人間存在の根源へ迫る姿勢が強くなっていった。

同世代の高峰秀子が戦前から戦後の黄金期を支え、岩下志麻が気品ある知性派として異彩を放ったのに対し、吉永小百合は昭和後期以降、清純さを失わずに成熟を重ねるという稀有な道を歩んだ。山口百恵が「早すぎる引退」で伝説となったのに対し、吉永は引退せず、朗読活動や社会的発信を続けることで「今を生きる女優」として存在感を高めている。

その生涯にわたる歩みは、日本映画史において特別な位置を占める。吉永小百合はただのスクリーン上の女優ではなく、時代を映す鏡であり、観客の心に永遠の青春像を刻み続ける存在なのである。

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