飢えを凌ぐ草の粥 農村共同体の知恵と絆(天明・天保期)
天明や天保の大飢饉は、米を主食とした江戸時代の食生活を、根底から揺るがした。冷害や長雨による凶作で、稲作が壊滅すると、人々は生き延びるために、代用食に頼らざるを得なかった。日記や記録には、草や木の皮、芋の葉や雑穀、さらには粟や稗を混ぜた粥や団子の姿が残されている。中には、消化に悪く、栄養を欠くものもあったが、それでも工夫を凝らし、飢えをしのいだ努力がにじむ。
こうした苦しい食生活の中で、共同体の助け合いも、重要な役割を果たした。余裕のある家が、困窮する者に粥を振る舞い、祭礼や寺社の場で、食を施すことは、村の秩序と結束を維持するための、大切な営みであった。単なる慈善にとどまらず、互いを支え合いながら、危機を乗り越える知恵として機能したのである。
代用食や施しの記録は、単なる食事の記述ではなく、困窮の中で生き延びようとする人々の忍耐と工夫、そして共同体の絆を、鮮明に映し出している。飢饉の時代は悲惨であったが、それは同時に、日本の農村社会が、いかにして互いを支え合い、生き抜いてきたかを示す証しでもあった。
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