Monday, September 15, 2025

白井喬二 ― 大衆文学の旗手

白井喬二 ― 大衆文学の旗手

白井喬二(1889–1980)は、明治から昭和にかけて日本の大衆文学を確立した代表的作家の一人である。明治22年 横浜に生まれ 父は地方を転任する高級官僚であったため 幼少期から青梅・甲府・浦和・弘前・米子などを転々とし 各地の風土や人間模様に触れながら成長した。これらの経験は のちに彼が描く大衆小説の幅広い舞台設定や人間描写の基盤となった。

学生時代 早稲田大学で文学に傾倒しつつも 翻訳や地方紙の記者 代用教員などの職を経験し 人間社会の明暗を肌で知った。大正期は都市の拡張とともに新聞・雑誌文化が急速に広まり 娯楽を求める庶民層が拡大した時代である。白井はこの時代の需要を鋭く読み取り 従来の純文学的な枠を超えて「娯楽雑誌愛すべし」と唱え 庶民の心に寄り添う文学を志した。

1923年の関東大震災は多くの文学者にとって転機となった。文化人の一部は東京を離れたが 白井は逆に娯楽小説の必要性を強調し『新撰組』や大河的作品『富士に立つ影』を連載。荒廃した都市で人々が再び文化を求める流れを背景に 彼の作品は新聞小説の黄金期を切り開き 娯楽と歴史ロマンを融合させた。これは昭和初期の暗い世相を和らげ 読者に生きる力を与える役割を果たした。

彼の文学活動は単なる読み物の供給にとどまらず 直木三十五や江戸川乱歩らとともに「大衆文芸」という運動を起こし 庶民の意識を「大衆」という文化的主体にまで引き上げようとした点に大きな意義がある。近代化の急速な進展とともに庶民が社会的に位置づけられていく昭和初期の時代背景の中で 白井の作品は単なる娯楽を超え 社会的意義を持つ文学として定着していったのである。

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