雑踏の海に揺れる光景 浅草の見世物と都市の影(大正から昭和初期)
大正から昭和初期にかけて浅草は、庶民文化の中心であり見世物の洪水に覆われていた。活動写真館や芝居、講釈場、玉乗りや花駕敷まで多様な興行が並び、昼前から楽隊が奏でる音と下駄の響きが交錯して、会話すらかき消されるほどの喧噪を生んだ。裏通りには銘酒屋を装った淫売屋が立ち並び、華やかな表の顔と背後の猥雑さが一体となって都市の矛盾を映した。世間からは卑猥とされたが、若者にとっては未知への入口であり、規範を試す場でもあった。やがて大正十二年の関東大震災が街を焼き尽くし、象徴だった十二階や千束町の遊廓は消えた。復興事業によって道路の拡張や不燃建築の導入、公園整備が進み、浅草は近代都市の象徴として再生する。一方で廃娼運動が勢いを増し、公娼制への批判や衛生取締の強化が進
み、銘酒屋や私娼窟は監視対象となった。それでも浅草の雑踏は生き続け、劇場街やレビューとして姿を変え、人々の記憶と共に都市の熱を保ち続けた。
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