仁義の口上 ― 昭和初期の香具師社会と漂泊の美学（大正末～昭和初期）

仁義の口上 ― 昭和初期の香具師社会と漂泊の美学（大正末～昭和初期）

香具師社会に伝わる「仁義」や「メンツウ」は、単なる挨拶にとどまらず、自己紹介や身分証明の役割を果たした。読み書きができない下層労働者や渡世人にとって、形式化された口上は重要な社会的手段だった。坂田浩一郎の例では「肥後熊本・銀杏城下がります」と出身を述べ、「晒しの木綿を胸高に巻き雪駄履き、早稲田の杜に仮住まい」と現在を語り、さらに「通称さがりやの浩ちゃん」とあだ名を加えることで人間味を添えた。大正末から昭和初期は関東大震災後の混乱期で、香具師や日雇い労働者は全国を漂泊しながら生活を支えていた。治安維持法や戒厳令下では、味方と他者を峻別する口上は生きる術となった。さらにメンツウには娯楽性があり、竹中労や深作欣二らもその実演を笑いと共に記録している。形式美と
庶民的ユーモアが交錯するこのやり取りは、単なる口上ではなく、不安定な社会に生きる者たちの文化であり、相互扶助と生き残りの知恵として受け継がれた。