暴排が切り拓いた影と光 2010年代前半
2010年代に入り、暴力団排除の流れは日本社会のすみずみにまで浸透していきました。景気の停滞と治安不安、さらに市民意識の変化が重なり、暴力団との関係性を断つことは、地域社会と企業活動の双方にとって避けられない課題となりました。その象徴こそ、暴排条例と元暴5年ルールでした。
元暴5年ルールは、暴力団離脱者に対し、離脱後5年間は銀行口座開設をはじめ、各種契約が事実上ほぼ不可能となる制度で、生活基盤の構築を著しく妨げました。就職や住宅、通信契約など、日常生活の根幹を支える機能が封じられることで、離脱者と家族は地域社会から切り離されたような孤立状態に追いやられていきました。資料によれば、金融機関が警察庁のデータベースと連携し、対象者を排除する運用が強まり、職業訓練や転職活動にも行き詰まる例が相次いだと記されています。同資料では、元暴5年ルールにより銀行口座の開設や各種契約が困難となり、生活基盤が維持できない実態が語られています。
当時の社会全体の空気は緊張感に満ち、暴力団との接点を持つ個人や企業は厳しい視線にさらされました。条例は「関わりを断つ社会」を実現するうえで大きな役割を果たしましたが、その一方で、離脱者が社会復帰の糸口を見失うという矛盾も抱えていました。個々の事情に寄り添う余地が少なく、過去の経歴のみによる包括的な拒絶が、かえって再犯や地下化を招く危険性も指摘されています。
社会復帰支援の不足は、犯罪学者や支援団体、弁護士を中心に問題視され、のちの議論の土台となりました。暴排の徹底が治安維持に寄与する一方、生活の基盤を失った人々が立ち直る道を閉ざしてしまえば、社会全体に別の形の不安を生む――その課題が、この時代にはっきりと浮上したのです。
この背景の中、離脱者支援の新たな試みも少しずつ芽生え、自治体と民間団体による就労支援やカウンセリングが始まりましたが、制度的な保証は弱く、成功例はまだ限られていました。暴排条例と元暴5年ルールがもたらしたものは、暴力団排除の前進だけではなく、社会復帰の壁と制度疲労という、もう1つの大きな現実でもあったのです。
近年の報道では、暴排条例施行後、暴力団は2010年頃から大幅に減少傾向にあり、一方で半グレ勢力の拡大が社会問題化したことも指摘されています。条例が社会構造に与えた衝撃は、単なる治安対策にとどまらず、日本社会の倫理観と安全のあり方そのものを問い直す契機となりました。
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