Monday, February 16, 2026

瓦礫の都に吹く風 1945年から1971年

瓦礫の都に吹く風 1945年から1971年

戦争は、都市の時間を一瞬で断ち切る。空襲によって焼け落ちた家屋、崩れた壁、砕けた瓦、焦げた木材や金属片は、生活の記憶とともに街路に堆積する。それは、ふだんの家庭ごみとはまったく異なる、重く、かさばり、行き場のない廃棄物であった。敗戦直後の東京は、瓦礫という名の沈黙に覆われ、その処理の見通しさえ立たない状態に置かれた。都市は再び立ち上がろうとするが、その足元には処理しきれない物質の山が横たわっていたのである。

やがて人びとが戻り、商いが再開され、日常の営みが息を吹き返すと、生活ごみが急増する。瓦礫の上に、日々のごみが重なっていく。戦後の都市は、戦災瓦礫と生活廃棄物という二重の負荷を同時に抱え込んだ。人手も車両も燃料も不足し、焼却施設は十分に整っていなかった。収集は滞り、野積みや投棄が広がり、悪臭や害虫が発生する。ごみは、単なる不快な存在ではなく、公衆衛生の危機そのものとなった。都市の復興は、まずごみとの格闘から始まったのである。

この状況は、やがて東京湾の埋立へと向かう。瓦礫やごみを埋め立て、土地をつくり出すという発想は、復興と拡張を同時に進める手段でもあった。だが、処理能力が追いつかないまま生ごみが埋め立てられると、悪臭やハエの大量発生、さらにはガスによる自然発火が問題化する。夢の島は、戦後の処理体制の弱さが形を変えて表面化した場所であった。戦争が残した物質的負債は、十数年の時間を経て、都市の別の場所で再び噴き出したのである。

こうした経験は、制度の整備を促した。戦後の衛生危機を受けて清掃法が制定され、その後の高度経済成長期には廃棄物処理法へと枠組みが更新される。ごみ問題は、戦争という非常事態から始まり、復興と経済成長の波に乗って拡大し、やがて都市内の対立へとつながっていく。一九七一年のいわゆるごみ戦争は、その帰結の一つであった。処理施設の立地や負担をめぐる摩擦は、都市の内部に新たな緊張を生み出した。

戦争とごみの関係は、単なる後始末の物語ではない。戦災は都市の物質循環を断ち切り、処理能力を超える廃棄物を発生させ、衛生問題を引き起こし、埋立地の環境問題へと連鎖し、ついには法制度や都市政策の再編を迫った。瓦礫の山は、やがて焼却炉となり、発電施設となり、分別やリサイクルの思想へとつながっていく。その出発点には、焼け跡に吹く風の中で、行き場を失ったごみと向き合う戦後の都市の姿があった。

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